2012年02月28日

平家物語ゆかりのお寺 長楽寺

円山公園の南側の道を東に上がって行くと長い階段があり、その先に「長楽寺」があります。

壇の浦の戦いで平家は破れ、安徳天皇は祖母(清盛の夫人)に抱かれ入水し、建礼門院も後を追って入水しましたが助けられ捕らわれました。その後、ここ長楽寺に入り29歳の時に出家されました。
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長楽寺は、延暦24年(805年)桓武天皇の勅命によって伝教大師を開基として観世音菩薩を本尊として創建されました。
その後室町時代の初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が当寺に合併され今日に至るそうです。

平成24年1月1日(木)〜5月10日(日)の間、非公開文化財特別公開されており「建礼門院秘宝展」が開催されています。
収蔵品の中には、「建礼門院御像」「安徳天皇御影(模写)」や、壇の浦で入水された安徳天皇がいまわのきわまで召されていたと言う形見の直衣を御布施とし、建礼門院自ら幡に縫われた「安徳天皇御衣幡」、また「一遍上人像(重文)」などが展示されています。

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境内には、「建礼門院御髪塔」などがあります。また、庭は室町時代、相阿弥が足利八代将軍義政の命により銀閣寺の庭を作る時、試作的に作ったと伝えられています。 
長楽寺
住所:京都市東山区円山町626  地図
TEL:(075)561−0589
市バス「祇園」下車、円山公園東南奥 徒歩約10分
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2012年02月11日

滝口寺

祇王寺から少し左に上がったところに、「滝口寺」があります。
このお寺にも、悲恋の伝説が残されています。
平重盛の侍、斉藤滝口時頼と、建礼門院付きの女官、 横笛にまつわるものです。
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滝口寺の入り口。
滝口寺も祇王寺も、本当に京都らしい静かで素敵なお寺です。




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本堂には、滝口と横笛の木像が祀られています。

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本堂の縁側に座ると、前に竹林が広がり、その向こうに平家一門の供養塔や右手に平重盛を祀った「小松堂」が建っているのが見えます。

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門のすぐ右奥に鎌倉幕府を倒した悲運の武将・新田義貞の首塚があります。
新田義貞の首は、京の三条河原で晒しものにされ、それを知った妻・勾当内侍(こうとうのないし)は、夫の首を密かに盗み出しここに埋葬したと伝えられています。



滝口と横笛の悲恋
斉藤滝口時頼は、平清盛の西八条殿で催された花見の宴で、横笛の舞う姿を見て人目ぼれし、恋文を送るようになりました。 ところが時頼の父が、「おまえは名門の出にして、将来は平家一門に入る身上でありながら、なぜあんな横笛ごときに思いそめるか」と叱責され、出家してしまいます。
想い焦がれる横笛は、都で出家したということを伝え聞き自分の心を打ち明けたいと、時頼を訪ねて行きます。
時頼が障子越しに見ると、すそをつゆで、そでを涙でぬらし、やつれた横笛の姿がありました。
しかし、すでに出家の身であるため「ここにはそういう者はいない」と告げさせます。
横笛は、なくなく帰るわけですが、心を伝えたく、近くにあった石に歌を書いて帰ります。


山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に 我を導け

時頼は、横笛への想いを断ち切るために高野山へ上り、それを聞いた横笛は奈良の法華寺で尼になりました。
そして滝口は一首の歌を横笛に送りました。


そるまでは恨みしかとも梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき
そして、
そるとても何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば
と返しました。

滝口寺

住所:京都市右京区嵯峨亀山町10-4
電話:075−871−3929
拝観時間:9:00〜17:00
拝観料:300円
posted by べにちゃん at 23:36| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

祇王寺

平家物語ゆかりの「祇王寺」は、奥嵯峨にあります。
祇王寺は、法然上人の弟子念仏房良鎮(りょうちん)によって創建された往生院の境内に建っています。
その後、荒廃して尼寺として残っていましたが、明治初年になって廃寺となりました。
明治28(1895)年、当時の府知事北垣國道が祇王の話を聞き、嵯峨の別荘の一棟を寄附し、現在の祇王寺の建物となったそうです。
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竹林と楓に囲まれた祇王寺の庭は、冬でも苔に覆われ美しかったです。
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本堂仏間には本尊の他、祇王、祇女、刀自、仏御前と清盛の木像があります。
控えの間の吉野窓は、影が虹の色に表れるといわれ、一名虹の窓とも称されています。
向かって右の五輪塔が、平清盛の供養塔で、左が祇王、祇女、刀自のお墓です。

平氏全盛の頃、平清盛と二人の女性の哀れな物語が書かれている平家物語。
都に聞えた白拍子の祇王、祇女と言う姉妹は、近江の国野洲江辺庄の生れで、父九郎時定は、江辺庄の庄司であったが罪あって、北陸に流されたので、母と共に京都に出て当時の最高権力者である平清盛の知るところとなりました。
ある日、清盛に呼ばれた祇王は御前で舞うこととなりました。
清盛は、祇王の見事で気品のある舞い、そして何よりもその美貌に心を奪われ、直ちに自分の別荘・西八条殿に住まわせ寵愛しました。
しかし、ここに加賀の国の者で、仏御前と呼ばれる白拍子の上手が現われて清盛の西八条の館に行き、舞をお目にかけたいと申し出ました。
清盛は、神とも言え、仏とも言え、祇王があらんずる所へは叶うまじきぞ、とうとうまかり出でよと門前払いをしたが、祇王がやさしく取りなしたので、呼び入れて今様を歌わせることにしました。
清盛は、見事な歌と艶やかな舞いにたちまち心を奪われ、昨日までの祇王への寵愛はどこえやら、心は仏御前に移ってしまい、祇王は屋敷から追い出されてしまいました。
あくる春になって清盛は仏が退屈しているから、舞を舞って仏をなぐさめよと使者をよこすと、祇王はもとより行く気は無かったが、清盛の権勢と母の哀願に抗しかね、館に行って、 
仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり
いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ
と歌い舞いました。
清盛邸での屈辱的な扱いに、祇王はいったんは身を投げようと考えたましたが、妹と母の嘆きを聞いて思いとどまり、21歳で尼となり、やがて妹・祇女、そして母・自刀も髪を剃り、三人で嵯峨の庵で念仏一途の生活に入りました。
その翌年、庵の表戸を叩く者がいました。出てみると、そこには白い衣で覆った仏御前の姿がありました。
仏御前は、祇王の身のなりゆきを遠からぬわが身のことと考え、清盛の館を抜け出てきたのでした。
すでに剃髪した仏御前を、祇王はこころよく受け入れ、その後4人は同じ庵(祇王寺)で念仏して、それぞれに往生をとげました。


祇王寺
住所:京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32  地図
電話:075-861-3574
拝観料:大人300円・小人(小学生のみ)100円
拝観時間:午前9時〜午後5時(受付終了午後4時30分)
市バス、91系統・28系統「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩約10分
posted by べにちゃん at 17:37| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

若一神社(にゃくいちじんじゃ)

来年の大河ドラマは「平清盛ですねぇ。
これから、京都にある平清盛のゆかりの地をいくつか紹介していきたいと思います。

平安時代は長かったので色々な事が起こりました。
平清盛は平安末期の武将で、平忠盛の子です(実父は白河法皇のようですが(^_^;))
保元の乱と平治の乱で活躍して、源氏に勝利したのちは平家の勢力をを急激に拡大させていきました。

今回は、まず「若一神社」を御紹介します。
ちょっと街中からはずれるのですが、JRの西大路駅の近くにあります。
当時、清盛はこの若一神社を含む西八条一帯に広大な別邸を構えていました。
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清盛像と、清盛ゆかりの御神水です。開運出世の水と伝えられています。

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左に見えるのが、清盛手植えの楠です。
清盛が太政大臣になった時に植えられたそうです。



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清盛が愛した「祇王(ぎおう)」の歌碑です。
「萌えいずるも 枯(か)るるも同じ 野辺の草 何(いず)れか秋に あはではつべき」と書かれています。



若一神社(にゃくいちじんじゃ)
住所:京都市下京区西大路通八条上ル  地図
JR西大路駅から徒歩約6分
posted by べにちゃん at 18:48| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする