2015年11月03日

曲水の宴

今日は、城南宮で「曲水の宴」が催されました。
一度行ってみたかったので、ちょっとワクワク(*^▽^*)
しかし、予想通りすごい人でした。
人が何重にも重なってなかなか良い写真が撮れませんでした(。>_<。)
曲水の宴 (9).JPG    曲水の宴 (9).JPG    曲水の宴 (16).JPG

曲水の宴 (22).JPG    曲水の宴 (23).JPG    曲水の宴 (25).JPG

歌人が着座してからの白拍子の舞はとっても良かったです♪v(⌒0⌒)v♪
狩衣姿の歌人もなれない服装で座りにくそうでしたね(^_^;)
風流な平安時代の雰囲気を楽しめましたが、後ろに座っていたおじさんは寝てました( ̄▽ ̄;)
曲水の宴 (1).JPG    曲水の宴 (6).JPG    曲水の宴 (20).JPG
城南宮は平安遷都創建の歴史ある神社です。平安時代から1200年。すごいですね!?(゚o゚;)


城南宮
住所:京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地
TEL.075-623-0846
京都駅八条口から市バス19系統で約25分
R'EX(らくなんエクスプレスバス)で約15分(八条口から直通ですが、料金は300円です)
地下鉄竹田駅から徒歩15分
posted by べにちゃん at 21:59| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

安倍晴明のお墓

平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明の墓所が嵐山にあるのを御存じですか。
ちょっとわかりにくのですが、「長慶天皇嵯峨東陵」の南隣、「角倉稲荷神社」の隣にあります。

この晴明の墓所は、相国寺第四十二世・瑞渓周鳳(ずいほうしゅうけい)の日記「臥雲日件録」に記載され、室町前期の「応永釣命絵図」にも描かれていることから、少なくとも室町時代にはこの地にあったようです。
安倍晴明のお墓4.JPG    安倍晴明のお墓.JPG    安倍晴明のお墓6.JPG
「陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所」と刻まれた石碑が入り口に建っています。

鳥居をくぐって階段を上がった所に、五芒星が刻まれた墓標があります。
安倍晴明のお墓2.JPG    安倍晴明のお墓5.JPG    安倍晴明のお墓3.JPG
いつも綺麗なお花が供えられているそうです。

安倍晴明の墓所
住所:京都市右京区嵯峨角倉町  地図
嵐電「嵯峨嵐山」から徒歩7〜8分
posted by べにちゃん at 23:40| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

京都市考古資料館

京都市考古資料館は、昭和51年に設立された「財団法人京都市埋蔵文化財研究所」の発掘・調査・研究の業績を発表・展示するため、昭和54年に設立されました。
建物は、旧西陣織物館で市の文化財に指定されています。
この辺りは、応仁の乱の際に山名宋全方の本陣が構えられた西の陣地で、正面入り口横にはそのことを記す「西陣の碑」が建てられています。
考古学資料館14.JPG    考古学資料館15.JPG    考古学資料館13.JPG

1階は特別展示室になっていて、11月27日までは「古代の祭祀ー出土品が語る平安への願いー」展が開催されています。
長岡京・平安京と、その周辺で行われた祭祀遺構から出土した遺物を中心に展示されています。
展示されている中でも、土器に顔を描いた大量の「墨絵人面土器」は、悪霊や邪気から都を守るために願いを込めて描かれ、近くの川や溝に流されたそうです。
考古学資料館5.JPG    考古学資料館4.JPG    考古学資料館6.JPG

考古学資料館7.JPG    考古学資料館3.JPG    考古学資料館16.JPG
いろいろな顔がはっきり残っていて面白いです(*^_^*)
人面土器の人気投票で7位までの人面土器が、スタンプになっていて押せるようになっていました(^^♪
また、土製の馬や、ミニチュア竈、木製の人形(ひとがた)なども展示されていて、当時の祈りの姿を具体的に知ることができます。
考古学資料館1.JPG    考古学資料館8.JPG    考古学資料館9.JPG

平安京の当時の様子が伺える、なかなか楽しい展示物でした(^_^)

京都市考古資料館
住所:京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町265-1
TEL:075-432-3245
開館時間:9:00〜17:00
休館日:月曜日・年末年始
入館無料
市バス201・203・59号 今出川大宮下車
posted by べにちゃん at 12:29| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

御所の鬼門「猿が辻」と幸神社

平安時代、陰陽道の考え方により、京の都は「鬼門」から守るように作られていました。
平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が建てられ、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が置かれました。
「鬼門」とは、北東の方角を指し、鬼や悪霊が出入りする丑と寅の間の方角で「表鬼門」と言い、 対する南西の方角は未と申の間の方角で「裏鬼門」と言われ、こちらも同様に忌み嫌われました。

京都御所の北東角は凹んでいて、軒下に御幣を担いだ猿を金網に閉じこめて魔除けとしています。
猿ヶ辻.JPG         猿ヶ辻3.JPG

昔から猿は「難が去る」「勝る」に通じると言われ、魔除けや鬼退治・必勝のご利益があると信仰されてきました。 
猿ヶ辻2.JPG

この猿は神様の使いであるのに夜になると抜け出しては外を通る人にいたずらを繰り返していたため、金網の中に閉じ込められたそうです。



それにしても、御所は広い・・・
今出川通りから入ると、なかなか丸太町通りまでたどり着かない(-_-;)
猿ヶ辻5.JPG         猿ヶ辻4.JPG

そして、御所の北東方向に「幸神社(さいのかみのやしろ)」という神社があります。
この神社は、延暦15年(796)の創建だそうで、最も古い神社の一つです。
こちらの神社の本殿の北東にも猿が祀られているそうですが、本殿の軒下にあり、よく探さないと見つかりません。
私は、わかりませんでしたm(__)m
幸神社.JPG    幸神社2.JPG    幸神社3.JPG

猿ヶ辻6.JPG

御所の「石薬師御門」を出て北を向くと、今出川通りを渡った向こうの突き当たりに「幸神社」が見えますよ。
posted by べにちゃん at 01:14| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

早良親王が幽閉された「乙訓寺」

寺伝によると、「乙訓寺」は約1380年前に推古(すいこ)天皇の勅願によって、聖徳太子が 十一面観音菩薩を本尊として創建されたそうです。
乙訓寺は「牡丹」のお寺として有名です。
境内には約2000株の牡丹が植えられ、4月末〜5月の連休にかけてたくさんの人で賑わいます。
牡丹の時期が終わった後は参拝者も少なく、5月末まで拝観料が無料になります。
人がいない乙訓寺も、静かで私は好きです(*^_^*)
朱塗りの門をくぐると、左右に牡丹が植えられています。
今はもうありませんが(^_^;)
乙訓寺.JPG    乙訓寺19.JPG    乙訓寺7.JPG

延暦3年(784)、桓武天皇は、都を平城京から長岡京に移され、その時「乙訓寺」も大増築されました。
以前、上御霊神社を紹介した時に早良親王について書きましたが、
長岡京造営の最高責任者であった藤原種継(たねつぐ)暗殺事件の首謀者の嫌疑をかけられた早良親王は、この乙訓寺に幽閉されました。
境内には早良親王の供養塔があります。
乙訓寺5.JPG    乙訓寺4.JPG    乙訓寺3.JPG

また、唐から帰った空海は嵯峨天皇から別当(べっとう=統括管理の僧官)に任命され、この寺の復興にあたられました。
そして、伝教大師最澄との最初の出会いもこの乙訓寺です。
乙訓寺8.JPG    乙訓寺6.JPG    乙訓寺11.JPG

乙訓寺14.JPG    乙訓寺13.JPG    乙訓寺12.JPG

乙訓寺
住所:京都府長岡京市今里三丁目14-7 
TEL:075−951−5759
阪急長岡天神駅西口から約1km 徒歩15分〜20分
或いは、長岡天神駅より阪急バス20系統にて「薬師堂」下車、徒歩5分
posted by べにちゃん at 18:53| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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